悪戯短篇小説「条件神」
ひとりなのだかたくさんいるのだか知らないが、世にいう神々が必ずしもやさしいとは限らないのは、地球の現状を見れば誰にでも簡単に理解できることである。しかしまさかここまでとは。
その日、神が喪師喪田畏怖男を見つけたのか、喪師喪田畏怖男が神を見つけたのか。そんなことはどうだっていい。畏怖男は日曜の公園を散歩中、夕陽をバックに池からせり上がってくる神を見た。
それはまるでコロンビア映画のオープニングロゴのようであったが、出てきたのは女神ではなく髭のジジイのほうであった。神は薄汚れた布を身にまとっていたがギリ、モデル体型の人間が着ていれば「そういう柄」と言い張れるレベルでもあった。そしてジジイはたしかに、長身やせ形のモデル体型ではあった。
そんな千載一遇のシーンで畏怖男が最初に取った行動は、祈るでも腰を抜かすでもなく、尻ポケットから取り出したスマホで神を激写することであった。これで3人しかいないインスタのフォロワーが5人に増えるかもしれない。ハッシュタグは#Godで。
しかし神を目の当たりにした人間が冷静でいられるはずもなく、スマホを握る畏怖男の手は規格外に滑り倒した。スマホは美しい孤を描いて
池に吸い込まれていった。まるでそうなることが約束されていたように。そういうことは案外、飛行曲線でわかるものである。
通常であれば、むしろスマホを落としたタイミングで川の水面を割って出現するのが、神にふさわしいタイミングであるのではないかと畏怖男は思った。金の斧銀の斧的な手順で。しかし神がすでにそこにいなければ、畏怖男は慌ててスマホを取り出さなかっただろう。そう考えてみると、すべてが運命づけられているようにも思えた。
そしてスマホが川に入水するかしないかのタイミングで早くも、神は食い気味にこう告げた。まるではじめから、そうなることがわかっていたように。
「そなたがいま川に落としたスマホ、拾ってしんぜようか?」
まさに捨てる神あれば拾う神ありである。いやこの場合捨てたのは人間、というか捨てたのですらなく、むしろそのスムーズすぎる吸い込まれ具合からすると、何者かの圧倒的な力により捨てさせられた、というほうが自然である。だとしたら捨てさせる神あれば拾う神あり、というべきか。できれば拾う以前にまず捨てさせないでほしい。
「あっ、お手数おかけしますお願いします!」
畏怖男は神の好意に甘えて咄嗟にそう願い出た。末っ子なので甘えに迷いがないのが、畏怖男の短所であり長所である。だが神はすぐには返事をせずしかし拾いに潜る様子もなく、しばしニヤケ面を浮かべて畏怖男を見つめている。そして見るからにもの言いたげなその顔面が、追加のひとことを容赦なく口走る。
「まあそのスマホに、今から5分以内に1件でも着信があればだがな!」
神は臆面もなくそう言い放った。畏怖男は混乱する頭と口の神経をかろうじて接続して訊いた。
「えっ、じゃあもし着信がなかったら?」
神は想定内の質問をあざ笑うように答える。
「拾うほどの価値もないから捨て置く~」
なぜか神の語尾4文字がIKKOっぽい響きを放っているのが気になった畏怖男だが、神は懐の汚い布の隙間からストップウォッチを取り出すと、「それではウェイティングタイム、スタートです!」と、バラエティ番組風に威勢よくコールして、そのスタートボタンを大袈裟にプッシュしてみせた。
そもそも畏怖男は友達が多いほうではなく、嫁も子供もいない。家族ともすっかり疎遠であった。仕事関係の電話も、日曜日にかかってくることはめったにない。
互いに黙ったまま3分が過ぎたころ、神がなにやら大きめの数字を叫びはじめた。なんとご親切にも残り2分、120秒前からカウントダウンをはじめたのである。親切のつもりなのか嫌味なのか天然なのかワクワクが止まらないのか。
それ以前に水没したスマホに着信があったとて、はたして着信音が鳴るのかどうか、さらにはその音が水面を突き抜けてこちらに届くのかどうかもわからないが、そこは神。いちおう嘘はつかないんじゃないかと、こういう時だけ都合よく信心深くなる畏怖男であった。
「はい、ダメ~」
きっかり5分を数えたところで非情にもそう告げた神だが、そうはいってもやはり神。捨てる神あれば拾う神ありというか、「てめえで思いっきり捨てといて結局拾う神」というのは単なる二度手間に思えなくもないが、しかし条件次第では拾ってやるという姿勢は崩さない。
「やっぱり拾ってしんぜようか?」
「え、いいんですか?」
「ただしそのスマホのパスワードが、そなたの誕生日を逆から読んだ数字でなければ、だがな!」
「な、なんでわかったんですか?」
「いやほら、そこは神だから」
「でもそれの何が悪いんですか? あなたには関係ないでしょう」
「その程度の危機管理しかできてないスマホは、丸ごと処分するのが一番のセキュリティ対策だから捨て置く~」
万事この調子であった。その後もこの神との条件問答は延々と続き、やがてスマホの話題から離れてもまだ続き、最終的には「ただしお前の母ちゃんが、デベソでなかったらな!」という子供の悪口レベルまで墜ちたところで(そしてこれがまた残念ながら畏怖男には図星であった)、どこからともなくスマホのありがちな着信音が鳴り響いた。
しかしその無個性なデフォルトの着信音は、川の底からではなく、神の体から響いているように思えた。すると着信音は徐々にその音量を増してゆき、さらには神の位置だけでなく、四方八方から畏怖男を取り囲むようにサラウンドで鳴りはじめるのだった。気づけば目の前にいる神は百人単位に増殖しており、完全に同一の容姿を持つ神々は、畏怖男をすっかり包囲しぐるぐるとメリーゴーランドのごとく回転している。
そしてその響き渡る着信音は、彼ら神々の髭の先から確実に発信されているということに、ここで畏怖男はなぜか気づいたのであった。その事実に気づいたとて、畏怖男にはなんの得も害もなく、ただうるさいというだけのことなのだが。「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」畏怖男の頭に浮かんだのは、その程度の取るに足らないビジネスアイデアでしかなかった。
しかし畏怖男はいつしか、目の前の神々をほったらかしにして、そのビジネスアイデアに夢中になった。それはとても大事なことに思えたので、畏怖男はそれを何度も脳内で反復した。
「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」
「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれはよく売れるだろうか?」
「もしも髭スピーカーという商品が開発されたら、はたしてそれは……」
そのとき、回転していた神々が一瞬動きを止め、一斉に同じ声を発した。それは着信音ではなく、明確な台詞であり、間違いなく畏怖男の疑問に対する回答であった。
「捨て置く~」
神々はその脱力した回答を置き土産に昇天し、鮮やかに雲散霧消した。すると川の中から、往路とまったく同じ出来すぎた放物線を描いて、スマホが畏怖男の掌へと着地した。
その液晶画面は地獄のようにバッキバキで、まるで何年も底辺に捨て置かれ永年に渡り踏みしだかれたもののようであった。