悪戯短篇小説「河童の一日 其ノ二」
今日は人間の友達の家へ遊びに行った。彼の家へ行くのは初めてだった。家にあがるやいなや、人間の女にすこぶる嫌な顔をされた。友達の母親らしかった。一瞬にして花柄のスリッパをビショビショにしてしまったからだと思う。河童なのだから当然だ。河童を家に呼ぶならば、それくらいは想定内であるべきだろう。
そう言いたいのはやまやまだがグッとこらえて僕は「すいません」と心を無にして謝った。
「なぁんだ、ちゃんと謝れるんじゃない」
友達の母親は幼稚園児を褒めるような口調でそう言うと、すぐにお風呂掃除用の、半透明なゴムのブーツみたいなのを持ってきてその場で履き替えさせられた。ブーツの中で足ひれの先っぽが折れ曲がってずっと痛かったが我慢した。案外知られていないが、河童というのは基本的に我慢強いのだ。少数民族が生き残るというのは、つまりそういうことなのである。好きなドラマはもちろん『おしん』に決まっているが黄桜のCMはもっと好きだ。
僕たちは発売されたばかりの3DS版『ドラゴンクエストⅧ』をずっと部屋の中でやっていた。とはいえ僕が機械類に触ると濡れて壊れるので、正確に言えば僕は見てるだけで、主な役割は応援とリアクションということになる。しかし僕がついつい敵のモンスター側に親近感を抱いてそちらを応援する旨の発言をしてしまうため、友達は「違うだろ!」といって怒るのだが、それは本当に怒っているわけではなく、僕らの間ではそういうお約束になっているのだ。
といってもそんなお約束の感覚はもちろん僕ら二人の間でしか成立していないから、そうやって言い合っているところに第三者が入ってくると途端にややこしいことになる。今日は友達の母親が、友達が僕に対して放った「違うだろ!」というツッコミを「暴力的発言」と捉え、即座に友達に飛びかかって往復ビンタしはじめたので本当に困った。
「お友達にそんなこと言うもんじゃないの!」
よく鳴るビンタが三往復目に入ったころ、しかし今こそ友情を深めるアピールチャンスだと悟った僕は、レフェリー気取りで二人のあいだに体を入れて止めに入ったのだった。すると友達の母親は「なに? 気持ち悪い!」と、わずかに触れた僕の表皮のヌルヌル感に対し正真正銘の暴言を浴びせかけ、結果もっとも心が傷ついたのは僕ということになった。こういうパターンには慣れているがつらくないといえば嘘になる。
その後も何事もなかったように『ドラクエⅧ』を続けていたらすっかり夜になっていた。明らかに僕に触れられた後シャワーを浴びたと思しきシャワーキャップ姿の友達の母親が、意外にも「夕飯を食べていきなさい」と強く勧めてきたので、お言葉に甘えるというか断ることができず食卓についた。
友達と友達の母親の前にはカレーライスが、僕の前には「ヤマザキ春のパン祭り」でもらったと思しき真っ白い皿の上に生のキュウリが丸ごと一本置かれていた。こういうのを風評被害と言うのだな、と僕は初めて思った。
そら河童はたしかにキュウリを食べる。それも無理やり食べているわけではなく、もちろん好きで食べている。しかし残念ながら、それは主食ではあり得ないのだ。河童はキュウリを、基本朝食でしか食べない。河童にとってのキュウリとは、人間にとってのシリアル的な存在なのである。つまりこれは、人間でいえば夕食にコーンフレークを出されているような珍妙な状況だということになる。なんと非常識なもてなしであろうか。「ごちそうさま」ではなく「お粗末さま」とむしろこちらから言ってやりたい気持ちが、目の前のパン祭り皿に比べてはるかに黄ばんだ自分のヘッドソーサーに充満してゆくのを感じた。
しかしもちろんそんなことは言わない。キュウリ一本を、友達がカレーを食べるペースに合わせてゆっくりと咀嚼すると、僕は笑顔で「ごちそうさま」と言った。そもそも「河童がキュウリを食べる」という風評は、おそらくは河童の多くが朝方に目撃されていることから来ていると僕はにらんでいる。キュウリを持った河童の絵や目撃証言は、つまり河童が絶賛朝食中であることを意味しているのだが、その部分がどうも人間には伝わっていないらしい。夜の河童が何を食べ、何を歌い踊っているのか、人間は何も知らない。
しかしそもそもあんなほぼ水分のものだけを食べていて、急流を泳ぎきる強靱な肉体がどうやって手に入るというのか。栄養学的に考えれば、すぐにわかることだと思うのだが。河童が基本的にはマッチョであるという事実に、人間はどうやら気づいていないらしい。河童とは、いわば究極の水泳選手であるというのに。
家に帰ったら、母親がキュウリ味のカレーを用意して待っていた。やっぱりおふくろの味はいいなと思った。