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若手芸人らしからぬ落ち着きが芳醇な言葉をひき立てる超自然体ラジオ

『三四郎のオールナイトニッポン0』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オールナイトニッポン』といえば、たけし・タモリ・さんまの時代から芸人にとっての戦場であり花の大舞台であり一世一代のチャンスである。むろんあの時代ほどの神通力はないかもしれないが、それにしたって多くの芸人にとって憧れのステージであることに間違いはない。なのになんなんだこの脱力感は。癖になるじゃあないか。


三四郎といえば、『ゴッドタン』や『アメトーーク!』をきっかけに、いま明らかに上昇気流に乗っているコンビである。そこにこの四月から、ほぼベストなタイミングで託された『オールナイトニッポン0』のレギュラー枠。どう考えてもイキるに決まっている。いや、むしろイキらなければならない。ここは間違いなく勝負どころなのだから。

三度の単発放送を経ているとはいえ、初回放送の落ち着きっぷりには正直面喰らった。特に芸人ラジオを聴き慣れている人ほど、あの初回の落ち着き払ったトーンには違和感を感じたのではないか。漫才やテレビでキレる小宮を目撃していれば、なおさらである。だが何も問題はない。なぜなら内容が面白いからだ。面白ければすべては許される。

当たり前のようだが、そういうジャンルは実は少ない。内容よりもインパクト重視の世の中だ。ラジオだって面白いというだけで完全に許されるわけじゃない。だが少なくともテレビよりは、面白さの重要度は高い。

衆目を集めるには、大声で話すより、小声で話したほうがいいという説もある。そのほうが聴き手が積極的に耳を傾けてくれるから、ということらしい。しかしだからテンションは低いほうがいい、と言いたいのではない。別に大声で言わなくても、面白い言葉は面白い、ということが言いたい。

三四郎がブレイクしたのは、表面的には妙な可愛げと品の良さを感じさせる小宮の毒猫的ルックスと、そのキレ芸のテンションによるところが大きいように思う。だがその魅力の本質は、どんな些細な言葉にも即座に過剰反応する彼のワードセンスにある。そしてそんな小宮のトリッキーな言葉をなんでもないことのように受け止め、時に的確に受け流すことのできる相田の包容力と選球眼。メロディの良い曲はアコースティックで演奏してもやはり良い曲だと感じられるように、ワードセンスの良さというのはテンションと関わりなく心に響く。大声で叫ばなければ伝わらない言葉は、しょせん言うほどでもない言葉だということだ。

先日迎えた番組初めてのスペシャルウィーク(聴取率調査週間)。彼らが選んだオープニングトークの話題は、「電車内の温度は誰が決めてるの?」という、至極どうでもいい、まったくスペシャル感のない話。そして先週はついに、特に詳しいわけでもないのに、相田が割と苦手だという程度の事実を軸に、頭から最後まで「虫の話」で走りきってしまうという自由すぎる展開。かつて「自然体」の代名詞であったRIKACOよりも遥かに自然体である。もっと言えば、世田谷生まれの自然食品グルコサミンよりも自然体である。もっと言う必要はなかった。RIKACOをたとえに出す必要もなかった。

いずれにしろどうでもいい話題なのに面白いというのが凄い。言葉のチョイスさえ面白ければ、話題など関係がない。そもそもネット社会になって以降、みんな話題ばかりに食いつきすぎなのだ。見出しばかりで判断しすぎる。そのほとんどが羊頭狗肉だというのに。本当に面白いのは、話題という枠組みではなく、あくまでも中身であるはずだ。なのにみんな、パンの耳ばかり食わされて満足している。真に面白い人は、どんなにくだらない話題でも面白くすることができる。題材だけ、フレームだけの笑いはもうたくさんだ。

だからといって、必ずしも「ラジオは自然体がいい」と言いたいわけではない。フリートークまで含めて全体をコント化して演じてみせるラジオも面白いし、テンションの高さが面白さにつながっているラジオももちろん存在する。だがワードセンスという、確固たる「素材の力」を持っている三四郎のような芸人にとっては、余計な味つけを必要としないこのスタイルが、とても合っているように思う。最近の芸人ラジオには珍しい、言葉をじっくりと味わえる(そしてもちろんたっぷり笑える)ラジオ番組である。

三四郎
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