食べられる武器
クラッカーのルーツが忍者の非常食であるということは、意外と知られていない。クラッカーといってもパーティーグッズのほうではなく、パーティー食品のほうである。しかし偶然ではあるが、パーティーグッズのほうのクラッカーも、忍者の煙玉に由来している。忍者はああ見えて、パーティーが大好きだったのだ。普段忍んでいるぶん、余計に。
クラッカー(食品のほう)はそもそも、忍者の練習用手裏剣として考案された。手裏剣と同様のサイズでありながら、丸みを帯びているのはそのためである。それにより練習時のケガを防ぐ一方、素材を壊れやすく設定することで、慎重かつ丁寧な扱いを身につけさせた。激しい動きの中で胸元に入れたクラッカーを粉々にしてしまった者は、即座に落伍者の烙印を押され(初期の頃は実際、額に焼き印を押されたという)、罰として粗塩をまぶした激辛のクラッカーを食べさせられた。リッツの誕生である。
練習用武器を食すというのは、一種の革命であった。奇しくもこの、とある上忍の思いつきから生まれた罰ゲームにより、「武器だって食べられる方がいいに決まってる」という発想が、主に伊賀方面の忍者界で急速に広まっていった。そしてやがて、「練習用」という言葉が外れた。
忍者には職業柄、いつでもどこでも食べられる非常食へのニーズが、潜在的に存在していた。しかし忍者業務は、常に敏捷性を第一とするため、たとえ命を繋ぐためであろうとも、持ち物を増やすという選択肢は無きに等しい。素人目にはまったく矛盾しているようにも思える、「武器を食す」という逆説的発想は、まさに一石二鳥でこの願いを叶えるものだった。
だがこれこそが、忍者衰退の致命的要因となった。歴史上、忍者失業率の急激な上昇と、リッツ売上の上昇曲線は驚くほど一致している。事実上、武器を失った(武器を食品と交換した)忍者たちはメインの攻撃手段を失ったに等しく一気に形骸化し、アクロバティックな動きにのみその存在価値を見出されるようになった。JAC(ジャパンアクションクラブ)の誕生である。
ちなみに、現在使われている「ニート」という言葉は、当時街中に溢れていた失業忍者たちを指す「忍徒(にんと)」という言葉をお洒落気に発音したものである。
伊賀に端を発したリッツ文化は、やがてライバルであるところの甲賀の里へと伝わり、オレオを生み出した。甲賀の忍者たちはずば抜けて練習熱心であったため、日々使い込んだリッツが手垢で自然と黒ずみ、それがオレオの原型になったと言われている。異様とも思えるあのオレオの黒さには、練習熱心な甲賀忍者のプライドが練り込まれているのである。あいだに挟まれている白いクリームについては、今のところ何も解き明かされていない。
それにしても、現存する最期の忍者が、沢口靖子(リッツ=伊賀)と後藤久美子(オレオ=甲賀)の二人だけになってしまったのは、寂しいことである。今われわれにできることは、リッツの上にオレオを載せて食べることだけだ。
※あくまでも個人の見解であり、根拠は執筆者の脳内にしか見当たりません。
※手裏剣の投擲は、適切なプロの指導のもと行っております。よいパーティー・ピープルはマネをしないでください。
※壊れたリッツは執筆後、スタッフ全員でおいしくいただきました。