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悪戯短篇小説「河童の一日 其ノ三」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕ら河童は漢字で書くと「河」の「童」ということにいつの間にかなっているが、これも河童がこうむっている風評被害のひとつである。河童だからといって、もちろん「童=子供」ばかりなんてはずはなく、河童にもジジイやババアはいる。最近はむしろそっちのほうが多いくらいで、河童業界もご多分に漏れず高齢化社会なのである。少子化問題が日々深刻さの度合いを増している。

それでも河童に「童」の字が当てられているのは、それによって化け物っぽさを軽減し、チャーミングなものとして受け入れようという人間サイドの優しさゆえだろうか。あるいはお腹のぷっくりした河童一般の体型が、人間の赤ちゃんを連想させるからだろうか。

いずれにしろ河童にもジジババはいるし、河童でも年寄りになるとやっぱり痩せて禿げることになっている。というよりはむしろ、全体的に「乾く」といったほうがニュアンス的に正確かもしれない。乾ききったときに河童は死ぬ。人間も乾いたら死ぬけどね。

今日は年金で野球のバットを買ってくれるというので、茨城から遊びに来た(もちろん泳いで)父方の爺ちゃんとスポーツ用品店に行った。去年から年金受給額がひっそり減額されていたみたいで、グローブも一緒に買ってくれると言われたけどさすがにそれは遠慮した。水かきのついた手のひらをちょっと土で汚せばグローブに見えなくもないし、そもそも水かきが引っかかって、きっとグローブの奥まで手が入らない。

ボールは河川敷で拾い放題だから、すでに捨てるほど持っている。草むらに入ったボールがいくら探してもみつからない、なんてことが人間にはよくあるみたいだけど、それが河沿いである場合には、河童の仕業だと思ってまず間違いない。河童には拾ったボールを返却するという概念がないのである。スタンドでファウルボールをホームランボールだと言い張り、どんなにお願いしても係員に返したがらないちびっ子以上に。

本当は金属バットが欲しかったが、湿気の多い環境で使うとすぐに錆びるような気がして、木製バットをいろいろと試してみることにした。木製は木製で、水を吸うとふやけて折れやすくなってしまいそうだけど、折れたら薪になるぶんお得なように思えた。湿気てたらどうせ使い物にはならないけど。もうじき焼き芋の季節だ。

人間の店員に、湿った手のひらを滑り止めの粉まみれにされつつも、いろいろと振ってみた中でしっくり来る満足の一本を買うことができた。帰ってすぐ、河川敷で爺ちゃんの投げる球を打ってみたら、思いのほか鋭い打球が爺ちゃんの右足を強襲、その足を文字通りの音をたててポキリと折り、僕のバットはしばらくの間爺ちゃんの松葉杖として活躍することになった。

「いや~、ちょうどいいのがあって良かった良かった!」

と言ってバットを突いて必死に歩く爺ちゃんの後ろ姿を見ていると、とても申し訳ない気持ちになったが、あんなに強烈な打球が飛んでいったのは、僕自身の内に眠る非凡な打撃センスもさることながら、爺ちゃんがまさかり投法から繰り出したツーシームが、ゆうに160キロを越えていたからだと思った。

 

 

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