悪戯短篇小説「ランドリー・マン」
油谷は蝉の抜け殻を集めていた。
今では洋服ダンスの5段すべて、蝉の抜け殻で埋め尽くされている。抽出をあけるたびにキュッキュと鳴くのは、もちろん蝉の仕業ではなくタンスが古いせいだ。あくまでも抜け殻であり、油谷は蝉本体に興味はない。
当初は、ストリッパーの脱ぎ捨てた服を拾い集めていたのだった。そのためにいくら使ったか知れない。しかしやっとの思いで拾い集めても、それは当然のように係員によって回収されてしまうのだった。踊り子の服をナイスキャッチしたときの彼は、ファウルボールをキャッチした男の子のようにはしゃぎ、ファウルボールを没収される男の子のようにがっかりして見せたものだ。残念ながら踊り子の服はホームランボールではなかった。もちろん油谷は劇場最前列でグローブをはめていた。
収集の対象はやがて、コンサート会場で投げられるバスタオルになり、ピスタチオの殻を経由して、ごく自然と蝉の抜け殻にたどり着いた。少なくともその経緯は、本人にとってまったく違和感なく受け入れられていた。
もちろん蝉の抜け殻をどうするわけでもない。油谷はただただ憧れた。自分には脱ぎ捨てるべきものがたくさんあるのに、まったく脱ぎ捨てることができないまま時が過ぎる。宴会で裸になったこともない。
ただしその脱ぎ捨てることに対する油谷の憧れは、単純に「余計な物を排除したい」という純化への欲求ではなかった。いや結果的にはまさにそうなのだが、彼は抜け殻こそが蝉の完成形であり究極に純粋な姿だと思っていた。自らの理想的な形を残すということ。乾燥した固体のみが持つその安定した姿に、油谷は憧れた。
それに比べたら、蝉本体はあまりに動的すぎた。あの蠢く腹と羽の震えを見ただけで、油谷は吐き気を覚える。彼は同じように、ストリッパーの生身の体にもまったく興味を示さなかった。つまり油谷は、自分の不純物を凝縮した抜け殻を作り、代わりに生身の自分自身を廃棄し、その抜け殻を自分自身の純粋な本体だと言い張りたかったのだ。
男がドラム式洗濯乾燥機の中で発見されたのは、おおよそそのような事情による。